高尾の頂から
教会週報 巻頭言より週次転載
2026.7.12
めじろ台教会に赴任して、時間のある時には、ドライブでよく奥多摩方面に出かけていた。かつての教会で、毎年この時期になると、教会学校小学科の夏期学校を奥多摩の国民宿舎で行い、奥多摩の山や川など、神が創造された自然の恵みを子どもたちと体験していて、奥多摩の地が懐かしく感じられたからである。初めてのルートで奥多摩に向かう途中、JR武蔵五日市駅前に出て驚いた時のことを思い出す。山あいの終着駅にしては、アーチとレンガ調の壁で作られた壮大な高架橋の駅舎だったからであり、またあの「五日市憲法」が作られた地に偶然居合わせることになったからである。▼「誰言うとなく“開かずの蔵”と呼ばれていた深沢家土蔵の重い扉が初めて開かれたのは、『明治百年』を迎えた1968年の8月のことだった。…薄暗い土蔵の二階の太い梁の近くを調べていた私がたまたま手にしたのが『五日市憲法草案』だった。自由民権運動の昂揚期の1881年に起草された私擬憲法だったが、…卒論で初めて全文を明らかにしたこともあって、私は[草案に]自然とのめりこんでいった。まして日本国憲法の先駆けともいえる民主主義的内容を持つものであっただけに衝撃を与えた」(新井勝紘『五日市憲法草案~日本国憲法の源流をさぐる』より)。▼その草案第45条は「日本国民ハ各自ノ権利自由ヲ達ス可シ他ヨリ妨害ス可ラス且国法之を保護ス可シ」(日本国民は、それぞれ自身の権利と自由を実現しなければならない。他者からこれを妨害されてはならず、また、国家の法律はこれを保護しなければならない)。145年前のこの条文は、現憲法第11条「国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与えられる。」など、民主主義の根幹にかかわる人権尊重の条文に対応していると思われてまさに「衝撃」である。▼五日市憲法草案や日本国憲法に心を止めているのは、今の国会で、「一切の表現の自由は、これを保障する」(憲法第21条)とされる個人の人権に、国権が介入して制限されてしまうのではないかとの疑念が持たれる法案が審議されており、その成立が強く懸念されているからである。戦前、キリスト教会の信仰の自由が制限される法律が作られ、教会が戦争に加担するという過ちを犯した。その歴史を深く悔い改め、「ふたたびそのあやまちをくりかえすことがないように」との『戦争責任に関する信仰宣言』(1988年)を表明している教会は、その法案に対して無関心でいてはならない。